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自然の回復力

 私が野山で遊んだ昭和40年前半の頃は、
夏にオニヤンマ、ギンヤンマが飛びまわり、
夏休みにもなると食用ガエルを釣りに早朝家を出ると
夕方遅くまで1人で川や水路を駆け巡り帰らなかったものです。
私の幼少の頃は、今から思うと自然に育てられた様な気がします。
ちょうどその頃、イタイイタイ病など公害問題や農薬問題も
クローズアップされ、食品ではチクロなどの人口甘味料も
問題になり始めた時代でした。
水の汚染やPM2.5大気汚染など問題になっている今の中国と
同じような時でした。
それからしばらくして水田にはヤゴ、ゲンゴロウ、タニシなどの
水生生物が見られなくなってしまいました。
30年ほど前から環境アセスメントや生態学が脚光をあび、
農学を勉強するものはほとんどこの関係の研究をする傾向に
あった様に思います。

 今、国民皆協力しての成果で自然が回復しつつあります。
私は、笠岡湾干拓地に住んでいますが、
朝公園を散歩していると紫や白のすみれが咲き、
天高く雲雀が鳴いています。
また、先日など北の空へ白鳥が3羽飛んで行くのにも出会いました。
11月にはシベリアからタゲリという渡り鳥が毎年飛んで来ます。
夜に車を運転していると自然のキツネと出会うこともよくあります。
鳥獣保護区に指定された土地だからこその自然力回復なのだと
思いますが、それらと出会うと何か感動します。

 昨日私が所属するライオンズクラブで
カブトガニ生息地に貝や穴ジャコを採りに来て
カブトガニの産卵地を破壊する人たちがいるので、
カブトガニ産卵地を保護する啓発運動を行いました。
随行者でカブトガニ保護センターの学芸員の方が
海岸から10mほど離れた所から

「あそこにカブトガニがいます。」

とそっと取り上げた時の写真です。

カブトガニ

 産卵から4年経っているそうです。
古代からの生き物なのですぐには復活しませんが、
毎年自然に見つかる個体数が増えているそうです。
次代を担う子供たちのためにも
自然を大事にしていかなければなりませんね。
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援農

私が学生時代(昭和52~56年)に「援農」ということがありました。
つまり「応用科学である農学を学ぶ者は、そのテーマを農業現場から引き出さなければならない。」ということでした。
私は、この「援農」という言葉を胸に、休みには県北農家へ泊りがけで出かけ農作業を手伝ったのを覚えています。
ハウスを建設し、種播きをし、花を収穫して市場への出荷に農家の方と一緒に夜を徹して軽トラで向かった記憶があります。
農家出身ではない私は、このような経験から「自然の中で働ける」、「地域の担い手として働ける」、「家族一緒に働ける」、「時間が自由に工夫できる」など農業という仕事の魅力を感じ取ることができました。
花市場の仕事に就き、以前から援農に行きたいと思っていたので、思い切って宮崎県日向市に4日間の予定でシキビ農家に行ってみることにしました。
20131226-1.jpg

岡山県から鹿児島県までは新幹線があるため3時間半で行けますが、日向市までは小倉から日豊本線で合計7時間かかり到着しました。
岡山県は、県民の17%が真言宗でシキビを使用する習慣があります。
当社は、年間1億2千万円もシキビ取扱高があり、重要品目のひとつとなっています。
シキビを初めて品種選抜をし、挿し木で増殖し、日向のシキビ産地を作ってこられたMさんを今回訪問し、一緒に作業するなかでシキビの栽培、束の仕方、規格を教えていただきました。
20131226-2.jpg

病害虫は、主に黒シミ斑点病、サビダニの防除で月一回のペースで予防をしています。
年3回新芽が出るようで霜にあたると枯れていきます。
Mさんは、霜被害を防ぐため10月から4月まで新芽が出ない品種を目標選抜しているそうです。

20131226-3.jpg

またシキビは、本数での出荷ではなくg(グラム)での出荷です。
束の仕方には技術が必要で私も2日間作業しましたが、なかなか思ったようにできませんでした。
派手な花ではない仏花なので日向のような大きな産地でも後継者がほとんどなく、Mさんも80歳になり、栽培技術、束技術が伝承されなくなってしまう危険性があります。
またこの援農を通して栽培している方の栽培環境、ご苦労を知った上で販売ができると考えています。
そして、80歳のMさんの「あと10年頑張ってシキビを作りたい。」の言葉に励まされ、私も頑張って仕事に打ち込みたいと改めて感じました。

古き良き時代

 仕事柄朝が早いこともあり、先日、ファーストフード店でおにぎりとみそ汁を買い、店内で朝食をとりました。
おにぎりは店で作ったものらしくラップで包んであり、
パリパリののりがセットされているコンビニのものとは違い、湿ったのりで巻かれたものでした。
食べてみると、何か懐かしい味がしました。
私は、富山県氷見市生まれで、岡山まで電車で年何回か通っており、朝4時ごろに実家を出るときには、
母がアルミホイルで包んだおにぎりを持たせてくれ、人目を気にしながら電車の中で食べた記憶がよみがえってきました。30年前のことです。
6月29日(土)は、徳山花市場の新社長就任式に出席するため周南市に行き、そのついでに翌日、周防大島に行ってきました。

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周防大島には、文化人類学者の宮本常一先生の記念館があり、以前から入館してみたいと思っていたので今回立ち寄ってみました。

 syacyo1.jpg

 宮本先生は、渋沢敬三氏や柳田国男氏の命を受け、日本全国を旅して古い農具や漁具を収集し、また各地に伝わる伝説や民話をもとに昭和初期の地方の人々の生活を記録した「旅する巨人」です。
 私は13年前、中国雲南省昆明市で3年間、花の農場を建設する仕事をし、自らも総経理としてそこで働いたことがあります。
その時、雲南省(人口4千万人)で在留許可を持って住んでいた日本人は、10名くらい居たのですが、ほとんどが夜になると日本料理店に集い一杯飲んでいました。
その中で龍谷大学のS教授と出会い、よく酒を飲みながら色んなことを教えてくださいました。
S先生は、宮本常一先生の最後の弟子で「日本人のルーツを探しに昆明に来ている。」とのことでした。
S先生の説によると、雲南省に住むハニ族の生活習慣が非常に日本人の昔の生活に類似しており、先生の考えでは、「日本人のルーツはここにある。」とのことでした。
 しかし、考古学では揚子江中域で日本のコメと類似した籾が出土していることから定説ではルーツは揚子江中域となっているが、住居・生活習慣や伝説からハニ族を日本人のルーツと証明しようとされていました。
幾日もハニ族の農村に入り、宮本先生じこみの調査方法で農村の地図を作ることから始め、そこに伝わる伝説まで念入りに調査されていました。
ハニ族は、棚田で一期稲作だけで生活を支えていたので貧しく、
裏作で「何かいい作物がないか」先生に聞かれたので、
当時私は、水が比較的豊富にあることからイグサをすすめたのを記憶しています。
昭和の良き時代の文化に触れ、子供の頃見た道具たちに久々に会った懐かしい思いがしました。

新緑に思う


 昨日の山陽新聞のコラム欄に「山笑う」と出ていました。
休眠から目覚めた木々たちが新緑の若葉が萌芽する様子を言ったものです。
私は、毎年、山々の新緑を見て会社に出勤するのですが、
何かとてつもなく大きなものが吹き出る時のエネルギーを感じて、それが自分の体に伝わります。
そして、その葉のいろいろな形、色、枝の曲線美に心の安らぎを感じるいい季節になりました。

 先日、東京で花き業界の研究会があり、花店を多店舗展開しておられる社長が

「自然界にはいろんな形、いろんな線のものがあり非常に面白いが、
一旦家や会社のオフィスに入ると円と直線しかない。これでは心の疲れは癒されない。」

と言っておられました。
岡山に帰って自分の家や職場の部屋を眺めてみると、確かにほとんどが直線と平面でできています。
効率的に考えれば当たり前ですが、一方では、これが本当に人間にとって生活しやすい空間であるか疑問です。
私の仕事は、まさに家庭や職場にいろいろな形の花や植物を取り込み、
生活空間や殺風景な空間に変化をあたえることなのだと改めて感動がありました。
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